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yukatoyama.com

めくるめく私の日々。

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私の過去と自己肯定感のお話。

column
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私がこのテーマで書こうと思ったきっかけになったのはこちらのこぐまさんの記事。

www.utsujoshi.com


ということで、私の自己肯定感に対する考えを過去の話を踏まえながらつらつら書こうと思います。 

 

「頭が良い」レッテルを貼られていた幼少期

私は小さいころから優秀な子として扱われてきました。
長女だったこともあり、親の教育のおかげだと思います。
幼稚園から進研ゼ〇をやり、ピアノを習っていました。
小学校に入って習い事は倍増、水泳やらペン習字やら親に言われるままに物事をこなしていました。
そうすれば、親にほめてもらえるし、認めてもらえるから。
個人のキャラが構築されていく小学校の高学年の時期には私はまさしく「頭が良い」「頼れる」、というようなレッテルをはられていました。
そのときはそれで楽しかったし、何より日々みんなに「すごいねー(キラキラ)」みたいな視線で見られるのは嫌じゃなかった。
ですが、私は男子と接点が多い、スクールカースト上位の女子たち(センター系女子)になりたいと思っていました。
どうして上位になりたかったかというと、センター系女子たちはたくさんの権利を持っているように見えていて、憧れているからなりたいと思うのは自然なことだし、
あとはおそらくセンタ―系男子に好きな人がいたからです。wこのあたりは今の自分にはよくわかりません。

残念なことに、私の小中学校は私立受験をする人以外は持ち上がりなのでメンバーはほとんど変わらず、スクールカーストはそのまま引き継がれます。
センター系女子たちはほぼ全員バレー部。
私はソフトテニス部に入りました。その頃には自分の頭良いレッテルを変えようという気概もなく、むしろ塾に通い始めたりとさらに磨きがかかりました。

 

中学のいじめで変わったこと

中学生時代で私の人格を変えたとも言える出来事がいじめです。
まあ、今思うとですが、中学のときってどこの部活にもありますよね。
順番にいじめられていくいじめ回し的な風潮。
私は最初に標的になり、部活内で唯一2回回ってきました。それに2回目は部長になったあと。みんなに指示を出さなければならないのに顔色を伺わなくてはならないというやりにくさ極まりない。
そのときに一層周りからの目線を気にするようになりました。
何をしても悪口を言われるから、せめて周りから見ていじめられてもへこたれてないように見せるように心掛けました。
弱ってたらもっと付け込まれるからね。
面と向かって「死ね」って言われたこともあったし、常にぼっちだったし、テニスもそこそこできたので嫌味も言われました。
違う部活に入ったらこうなっていなかったんだろう、私がこれで死んだらあの人たちはせめられるのかなあとか考えてたこともありました。
本当に世界がせまいって辛い。塾にいっても部活の友だちも中学の友だちもいるので、どこにいっても逃げられないわけです。
当時誰にもこの話をせずに過ぎました。私は親にも言いませんでした。むしろ親にも怒られていたような日々でした。
今思うと何を生きがいに、頼りに生きていたのでしょうという感じですね。
ひとつ言えるのは未来に、将来にかけていたということです。  
勉強して良い高校に入って、いじめていた人たちやスクールカースト上位の人たちにいばろうと思っていました。

ルックスを気にしすぎてストレスになった高校時代

というカオスで人生のどん底の中学時代を乗り切り、第一志望の高校に進学しました。
中学時代の私にとって、高校時代は期待のかたまりだったわけです。
スクールカーストといじめから開放される、と。
けど見事にその期待も裏切られました。結局スクールカーストは存在しました。
高校だとそのスクールカーストはルックスの良さとセンター女子にどれだけ媚をうれるかで決められていました。
そして中学のときと同じ、そういう人たちは自分の好きなように世界を作れるし、
その世界しか知らない当時はセンター系女子に憧れを持つわけです。
そして厄介だったのはルックスです。ルックスが良い方がスクールカーストの上位になれるし、楽しく生きているように見えてくる。それになれない自分が大っ嫌いでした。
そして、ほぼゼロからのコミュニティが初めてだった私は結局慣れていた「賢い」キャラが構築され、「頭良い」レッテルはそのまま。
レッテルを外したくても、かわいくもないし、ノリも良くない私は「頭良い」レッテルがなければ存在価値がなくなってしまうと思っていたんです。
中身もルックスも当時は学年で一番ブスだと思っていました。うまくいかないのは全てルックスのせいだと。
センター系女子とルックスの良い人をうらやむばかりでした。
調子に乗っているブスは最低で、優秀ならブスでも許されるという考えにしばられていました。
部活と勉強をまじめに頑張っている人に見られるように常に成績と周りからの評価を気にして、キャラに穴ができないように繕う日々。そして、なんでも真面目に頑張ってる私にはいいことがなく、何でもちゃらちゃらしてるやつらのほうがいいことがある。それが理不尽すぎてつらかった。でもそれが息苦しくて、本当にありたい自分ではない。そのストレスから大泣きしたことも、その他体調に影響があったことも何回もありました。

結局高校でも中学と同じことを繰り返しました。
未来に、将来に時間をかける。良い大学にいくためにかなり勉強しました。
おかげで早稲田大学の指定校推薦をとることができました。

私がすぐに素をだせないのは中高6年間の経験があったからです。
素は自分のキャラの特徴ではないと考えていたので、素を出すと自分でなくなると思っていました。

多くの居場所を作ることで自由になる

大学は私の人生をたくさん変えてくれました。
まず、早稲田大学はマンモス校なので、複数個コミュニティができます。
なので全部で統一されたキャラを作る必要もないし、そのコミュニティによって判断基準も違う。
加えて留学は私の凝り固まった価値観をぶっ壊してくれました。
外国人は私からみて「え?」みたいなこともするし、日本であれば「信じられない」というようなこともします。
でも、それが台湾では普通だったりする。つまり価値観は自分のだけであって、周りの人も自分と同じように見えているわけではない。
だったら自分でどんなに周りからの目を気にしようと無駄じゃん、ってことに気付きました。
一気に楽になりました。大学は浅く広くだから、悪口を言われることもそんなにない。
言われても他のコミュニティで生きていけばいいわけで。

一時期、それでもオンライン(アクティブな自分)とオフライン(大人しくて真面目な自分)違いやゼミやサークルというせまいコミュニティに入ったことで一貫性のない自分の性格に悩んだこともありました。

そんなときに助けてくれた本が嫌われる勇気でした。
それをきっかけに自己啓発本を読み漁り、わかったのは自分に自己肯定感がないこと。

中学、高校のときの経験から、人からの評価ばかり気にして自分を褒めたり、認めてあげたりすることがなかったんです。

もしいじめとかスクールカーストとか見た目で悩んでいる人がいたら思い切って世界を変えてみてほしいなと思います。
私が色々な場所に足を運んだり、参加している理由はここにあります。
リスク分散のためです。中学高校のときに世界が狭く苦しい思いをしたので、自分の居場所をたくさん作って、一ヶ所でだめになっても他があるというようにして生きやすくするため。

見た目に関していうと大学からは化粧もできるというのもありますが、
それより大きかった気づきは自分がブスだと卑屈になっているからブスになるわけで、常に笑顔でいることを心掛けるだけでブスではなくなるということです。

 

 自分が楽しむことが一番大切

今は自分のご機嫌をとることが一番大切だと思うようになりました。
自分が楽しい、居心地が良いという感情を大切にする。
その中で自分がなりたい自分を思い描きそれを目指すこと。

これは人それぞれで夢がない人は楽しいことをすればいいんじゃない?っていう話 - に書いたとおり、「苦難を乗り越えながら大きなミッションを目指す!」みたいな人はそれでいいのだろうし、もっと違う生き方で心地よいならそれで良いんだと思います。「こう生きなければならない!」とか周りを自分の判断基準にする必要はないと思っています。

自己啓発本になんとなく抵抗がある人(私もそうでした)もいるかもしれませんが、読むと人生変わります。これホント。

今でも外に求める承認欲求を求めてしまうこともあるし、人と比べて落ち込んだりすることもあります。
人を羨んで、比べて成長することもあります。これは必要なことです。
でも、自分にちょうどよい程度にしておかないと負の感情になり、自分を不機嫌にしてしまうことにもなります。
自分を成長させるために必要なことと向き合うこと、そして自分のご機嫌をとることのバランスが難しいとも思います。

 

原因論でしかない

過去のことが今の自分を形成してるという文脈で書きましたが、これは結局アドラーが否定している原因論でしかありません。なので、嫌われる勇気のアドラー的な生き方をするためには考え方を変えないとなーと思います。

ところが原因論に立脚する人々、たとえば一般的なカウンセラーや精神科医は、ただ「あなたが苦しんでいるのは、過去のここに原因がある」と指摘するだけ、また「だからあなたは悪くないのだ」と慰めるだけで終わってしまいます。いわゆるトラウマの議論などは、原因論の典型です。」

アドラー心理学では、トラウマを明確に否定します。ここは非常に新しく、画期的なところです。

われわれは過去の経験に「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。人生とは誰かに与えられるものではなく、自ら選択するものであり、自分がどう生きるかを選ぶのは自分なのです。

引用:第1回人生の迷いを断ち切るアドラーの思想とは?|嫌われる勇気──自己啓発の源流「アドラー」の教え|ダイヤモンド・オンライン